貧乏な清掃員だった過去
ぼくは、20代前半の頃から清掃員の仕事をしていて、最初の1年以上は月収が15万円程度の生活を過ごした時期もあります。
ぶっちゃけて、あたりまえのように全く給料が上がらず、下流作業員時代を過ごしていました。
当時はまだ結婚もしてなく、実家暮らしだったので家賃や食費はいりませんでしたが、給料日には遊びとパチンコで、
その日のうちにすべてのお金を使い果たすなど、お金がいっぱいあるという環境には程遠い暮らしをしていました。
朝から晩まで毎日まいにち、心が擦り切れるまで働いてもお金が足りない
自分よりも仕事が出来ないと思っている上司にコキ使われる日々。
そんな毎日が嫌でも、お金を稼ぐためには仕方がないと、歯を食いしばり頑張ってきました。
それでもやっぱり「プッツン」と来てしまい、上司と喧嘩をしてしまい会社を辞めてしまいました。
後先考えずに会社を辞めてしまったせいで、お金が全然ありません。
でも、再就職しようにも、働ける会社が全然見つからなくて就職活動すら辞めてしまいました。
ただそれだけしか、自分が出来るというものが見つからなかったんです。
お恥ずかしながら・・・・
ぼくは高校こそ卒業していますが、お世辞でもレベルの良い高校とはいえない、下から数える方が早いようなレベルの高校を何とか卒業しました。
ですので勉強は、からっきしで全然できません。
数学においては、小学校の分数ぐらいからついていけなくなりました(笑)
社会人になってからも、フラフラとパチンコで生計を立てて生きていたような人間で、たまたま清掃会社で働くようになり、作業の基礎を習得して独立開業したというわけです。
『おそうじビジネス』ハウスクリーニングで独立開業
独立開業したまではいいのですが、営業すらろくにやったこともない20代の若造に、仕事をくれる会社なんてどこにもありませんでした。
ぼくは開業してから5年ほどは、ぜんぜん稼げませんでした。
開業当時は取引先もなく、仕事を貰えるあてもなく同業者の応援などでどうにか月に20万円ほど稼ぎ、その20万円で何とか生活をやり繰りすることを1年と6ヶ月間過ごしました。
ぼくの周りの友達や同年代の人たちは、すでに結婚もして、家族を養っている人もいるなか、なんかお金を稼いでいない自分に、恥ずかしさと悔しさが一気に押し寄せ、
と思い、
とりあえず自分でも出来る事をやっていこうと考え名刺を作って配り始めました。
ある日、
知り合いが経営している飲食店に食事をしにいくと、店主の知り合いというお客さんが1人で食事に来ていました。
そのお客さんは管理会社で勤めているという事で、飲食店の経営者から紹介を受けました。
と言ってもらえたのでぼくはそのお客さんに名刺を渡しました。
賃貸マンションを主に現状回復している会社で、ちょくちょくと仕事をいただけるようになり、月に平均30万円ほどの仕事量を回してもらえる様になりました。
ですが・・・・・
売り上げの中からマージンとして10%キックバックを求められました。
元々かなり安い単価で請け負っていたこともあって、キックバックはなかなかの痛手でした。
でも、まだ取引先も他に無かったので、辛抱して頭をさげまくりました。
元々ぼくに仕事をくれていた方がその会社で役職に就き、他の営業の方の仕事も貰えるようになりました。
売り上げは月100万円を超す月も出てきましたが、そこからも10%のキックバックですけどね(泣)
段々とその人の横暴な態度がエスカレートして行き、こずかいをせびられたり何かとお金を求められました。
断れば仕事を貰えなくなるという不安で我慢しました。
この話はぼくの自己紹介記事
読んでもらえると嬉しいです。
やっぱり一つの会社に依存して仕事を貰ってるとかなりのリスクがあります。
その会社からの仕事が無くなれば収入は激減しますので。。。。
1人スタッフを雇っていたこともあり、どうにかして仕事を取り続ける方法は無いものか?
でも、
と思っていたので
飛び込み営業をしたり、知り合いに頼み紹介して貰いながらコツコツ活動しましたがあまり成果がでませんでした。
元々ぼくは人付き合いも苦手な方だったので、営業などもしたことがありません。
そこからいろんなことがいっぱいありすぎて、今ここでは書ききれないほどの経験をしてきました。
興味のある方はたくみ社長の悲惨なプロフィールを読んでみて下さい。
過去にあった悲惨な出来事などを書いています(笑)
そこからこのブログで多く取り上げている
「おそうじビジネス」を事業としてとらえる事ができるようになり、リフォーム業界などに参入していき大きく人生が変化していきました。
引き続き、マニュアルを公開する理由の記事をどうぞ。
http://betakumi.com/housecleaning-kasegu-manual-riyuu/